2021年オープンキャンパス(青木・伊藤(康)研究室)
バイオメトリクス

はじめに

ドアを開けるときはカギやカードを使いますし,スマートフォンやパソコンの画面ロックを解除するときはパスワードや数字を使っています.カギやカードはなくしたり盗まれたりする可能性がありますし,長いパスワードや数字は忘れてしまう可能性があります.これに対してバイオメトリクス(生体認証)は,人の特徴を用いるので,そのような危険性がありません.ここでは,本研究室が取り組んでいる様々なバイオメトリクスの研究について説明します.

バイオメトリクスで使われる特徴

バイオメトリクスは,「身体的もしくは行動的特徴に基づいて個人を同定する」技術と定義されています.図1は、バイオメトリクスで使われる特徴の例です.身体的特徴であれば,顔,虹彩,指紋,掌紋,手のひら静脈,指静脈,指関節,耳介などがあります.行動的特徴であれば,音声,署名(筆跡),歩容などがあります.身近なものであれば,スマートフォンのユーザ認証で使われている顔認証や指紋認証,ATMの個人認証で使われている手のひら静脈認証や指静脈認証があります.

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図 1:バイオメトリクスで使われる特徴

画像マッチングを用いたバイオメトリクス

バイオメトリクスの研究は,それぞれの特徴に対して行われています.国際会議などで発表数が多い順に,顔認証,虹彩認証,指紋認証です.特に,顔認証は,バイオメトリクスの研究分野だけではなく,コンピュータビジョンの研究分野においても数多く研究が行われています.その中で,本研究室では,画像間の類似度を評価する画像マッチングを使った手法を提案しています.その手法は,位相限定相関法 (Phase-Only Correlation: POC) と呼ばれます.POCは,画像をフーリエ変換して得られる位相情報を用いた画像マッチング手法です.手法の詳細は難しいので,興味がある方は,文献 [1] や文献 [2] を参照してください.

本研究室で開発したバイオメトリクスシステム

本研究室で開発したバイオメトリクスシステム(図2)を紹介します.

指紋認証装置
POCを用いた指紋認証装置を株式会社山武(現azbil株式会社)と共同で開発しました.指紋認証は,指紋の模様が分かれたり途切れたりしている場所をマニューシャと呼ばれる特徴点とし,特徴点の位置や角度を使って行われていました.乾燥肌やアレルギー肌からマニューシャを抽出することが難しいので,マニューシャに変わる新しい手法が必要でした.POCは,画像のテクスチャを使って認証するので,これらの問題を解決することができました.さらに,POCを高精度化した帯域制限位相限定相関法 (Band-Limited Phase-Only Correlation: BLPOC) という手法を提案しています(文献 [3]).
虹彩認証装置
虹彩は,白目と黒目の間にあるドーナツ状の領域です.日本人は,黒に近いので近赤外線の照明を使うことでカオス状のパターンを見ることができます(照明をあてながら鏡で見ると虹彩を確認することができます).バイオメトリクスで使われる特徴の中でも識別性が高く,空港の出入国審査や高いセキュリティレベルと必要とする建物や部屋の入出管理で使われています.多くの虹彩認証装置では,John Daugmanが提案したIriscodeが使われていました.Iriscodeの特許により虹彩認証装置の開発がしづらかったため,Iriscodeに変わる新しい手法が数多く検討されました.その中で,指紋認証でも有効だったBLPOCを虹彩認証で使用する手法を提案するとともに,株式会社山武(現azbil株式会社)と共同でプロトタイプシステムを開発しました(文献 [4]).
2D/3D 顔認証システム
一般的な顔認証システムは画像を使いますが,顔には形状的な特徴も含まれています.そこで,ステレオビジョンを使って顔の立体形状を復元し,2次元の画像と3次元の形状を使う顔認証システムを手法をazbil株式会社と開発しました.このシステムのポイントは,カメラを1台しか搭載していないところです.特殊なミラーを作成して1台のカメラでステレオ画像を撮影できるようにしました.
掌紋認証アプリ
POCは,掌紋と呼ばれる手のひらの模様を使ったバイオメトリクスにも有効です(文献 [5]).掌紋の特徴は,特殊な装置を必要とせず,スマートフォンのカメラなどで簡単に取得できるところにあります.簡便であるだけではなく,指紋と同程度の識別性を持っています.スマートフォン用のロック解除を掌紋認証で行うアプリを株式会社KDDI総合研究所と共同で開発しました(文献 [6]).現在は,実用化に向けて安定性と精度の向上と実証実験を行っています.
ドアレバー認証装置
一般的なバイオメトリクスは,何らかのセンサを触れたり,カメラに向けるという動作を必要とします.普段の動作の中で自然と認証されると便利ですよね.それに着目したのがドアレバー認証装置です.ドアを開けるときにドアレバーを握らなければなりません.ドアレバーの前あるいは上にカメラを設置すると指関節の画像を撮ることができます.そこで,指関節門認証を利用しました(文献 [7]).
身元確認ソフト
2011年の東日本大震災の身元確認のために開発した歯科情報を使った身元確認ソフトウェア Dental Finder です.生前と死後の歯の状態を使って迅速に個人認証を行うことができます.プロジェクトのまとめページがありますので,詳細はこちらを参照して下さい.東日本大震災での本研究室の取り組みについての解説記事(文献 [8] と文献 [9])も参照して下さい.

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図 2:本研究室で開発したバイオメトリクスシステムの例

ディープラーニングを用いたバイオメトリクス

バイオメトリクスの研究分野でもディープラーニングを用いた手法が数多く提案されています.特に,顔認証では,ディープラーニングの登場により,実用化に耐えうる精度まで向上しました.本研究室でもディープラーニングを用いた手法を検討していますが,その中でディープラーニングを使った指紋認証を紹介します.指紋認証は,すでに様々なところで利用されていますが,まだ利用できない用途があります.それは,新生児の指紋認証です.指紋認証では,マニューシャやテクスチャが安定して取れることが前提となっています.新生児の指は小さく,マニューシャもはっきりせず,歪みにより安定してテクスチャも取れません.新生児の小さい指先から指紋画像を撮るためには,新しい指紋センサを開発する必要があります.新生児のための高解像度指紋センサをNECバイオメトリクス研究所と共同で開発しました(文献 [10]).さらに,新生児のような既存の指紋特徴量が取得できない指紋画像でも指紋認証を可能とするために,ディープラーニングを用いた指紋認証を提案しています(文献 [11]).

バイオメトリクスとセキュリティ

ここまでは,個人認証としてのバイオメトリクスについて紹介しました.バイオメトリクスは利用するだけではなく,安全に利用するためには,システムのセキュリティも考えなければなりません.例えば,顔認証システムに対して,顔写真をかざすと本人として認証される可能性があります.認証手法から見ると,どのような環境においても正確に認証しなければならないので,顔写真であったとしても本人であれば認証しなければなりません.一方で,システムから見ると,本物の顔でなければ認証してはいけません.このような顔認証システムへの攻撃は,なりすまし攻撃(あるいは提示攻撃 (Presentation attack))と呼ばれます.本研究室の博士2年の河合洋弥さん(当時,博士1年)が大学1年生向けにバイオメトリクスとセキュリティをわかりやすく紹介しています.詳細は,こちらの動画1をご覧下さい.

動画 1:河合洋弥さんによるバイオメトリクスとセキュリティの紹介(スピーカをONにして聞いて下さい)

安全な顔認証システム

最後に,最近の取り組みについて紹介します.顔認証では,カメラで顔を撮影し,撮影された顔写真をシステムに入力することで個人認証が行われます.カメラに印刷した顔写真を見せることで他人がユーザになりすますことができる可能性があります(一般的なシステムでは何らかの対策が講じられています).これはバイオメトリクスシステムに対する攻撃の一種で「なりすまし攻撃」と呼ばれています.SNSなどのクラウドサービスを使うときに,自分の顔写真などを掲載していることが多いと思います.インターネットで画像検索をするとたくさんの顔写真を収集することもできます.なりすまし攻撃やプライバシー流出を防ぐために,顔を守りつつ,顔認証を行うことができるような技術が求められています.そこで,ステガノグラフィと呼ばれるデータを秘匿する手法を利用して,顔画像を別の画像に埋め込みつつ,顔認証もできるような手法を検討しています.詳細については,文献 [12]を参照して下さい.

まとめ

バイオメトリクスの研究の概要について紹介しました.最後に紹介しましたが,バイオメトリクスの研究は,単に個人認証を目的とするだけではなく,セキュリティも重要な研究テーマになっています.バイオメトリクスでは,登録と入力の類似性を評価するテンプレートマッチングに代表されるパターン認識だけではなく,画像信号処理,コンピュータビジョン,機械学習などの知識も必要となります.いろいろな知識が必要にもなりますが,融合領域特有の面白いテーマもたくさんあります.

参考文献

  1. 青木孝文ほか, "位相限定相関法に基づく高精度マシンビジョン -ピクセル分解能の壁を越える画像センシング技術を目指して-," IEICE Fundamentals Review, vol. 1, no. 1, pp. 30-40, July 2007 (Open access).
  2. K. Ito et al., "Recent advances in biometric recognition," ITE Trans. Media Technology and Applications, vol. 6, no. 1, pp. 64-80, January 2018 (Open access).
  3. K. Ito et al., "A fingerprint matching algorithm using phase-only correlation," IEICE Trans.Fundamentals, vol. E87-A, no. 3, pp. 682-691, March 2004. [PDF]
  4. K. Miyazawa et al., "An effective approach for iris recognition using phase-based image matching," IEEE Trans. Pattern Analysis and Machine Intelligence, vol. 30, no. 10, pp. 1741-1756, October 2008. [PDF]
  5. K. Ito et al., "A palmprint recognition algorithm using phase-only correlation," IEICE Trans. Fundamentals, vol. E91-A, no. 4, pp. 1023-1030, April 2008. [PDF]
  6. H. Ota et al., "Implementation and evaluation of a remote authentication system using touchless palmprint recognition," Multimedia Systems, vol. 19, no. 2, pp. 117-129, March 2013. [PDF]
  7. D. Kusanagi et al., "A practical person authentication system using second minor finger knuckles for door security," IPSJ Trans. Computer Vision and Applications, vol. 9, no. 8, pp. 1-13, March 2017 (Open access).
  8. T. Aoki et al., "What is the role of universities in disaster response, recovery, and rehabilitation? Focusing on our disaster victim identification project," IEEE Communications Magazine, vol. 52, no. 3, pp. 30-37, March 2014. [PDF]
  9. 青木孝文ほか, "災害犠牲者の身元確認とICT," 電子情報通信学会 基礎・境界ソサイエティ Fundamentals Review, vol. 9, no. 2, pp. 119--130, October 2015 (Open Access).
  10. 幸田芳紀ほか, "新生児指紋認証技術によるSDGsターゲット16.9への挑戦," 電子情報通信学会 基礎・境界ソサイエティ Fundamentals Review, vol. 13, no. 4, pp. 312-320, April 2020 (Open Access).
  11. A. Takahashi et al., "Fingerprint Feature Extraction by Combining Texture, Minutiae, and Frequency Spectrum Using Multi-Task CNN," Proc. Int'l Joint Conf. Biometrics, October 2020. [arXiv]
  12. 神津岳志ほか, "ステガノグラフィを用いたプライバシ保護顔認証とその安全性評価," 第24回 画像の認識・理解シンポジウム, July 2021. [PDF]